2020年 05月 05日
最終章 その1 ええ加減なメガネ
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身体は「ファジー」な存在です。時には「ええ加減さ」が必要になる時もあります。
メガネも同じです。あまりに “キッチリ” 合わせ過ぎると色々と「凝り固まって」しまい、自身の眼の自由度が減ります。
“キッチリ” 合わせすぎて、却って見にくくなることもあります。最たる例は「乱視」です。強過ぎる円柱レンズで「直乱視」を矯正すると逆に「倒乱視」になってしまいます。
眼鏡を常時かけるのではなく、状況によって掛けたり外したりする場合。メガネの「左右差」はあまりつけないほうが良いかもしれません。可能なら「同度数」をオススメします。
なぜなら裸眼時と眼鏡装用時との「左右の関係性」が変わってしまうからです。その差により「疲れ」が発症する可能性があります。

やや極端な例を挙げます。

基本は左右それぞれに合った度数のメガネを作成します。まさに “キッチリ” としたメガネです。これにより左右差はなくなり、顔を回旋させる必要も無くなります。
が、顔の回旋が「癖」になっているのなら、その「癖」の改善が、むしろ身体不調の原因なるかもしれません。
となれば、左右差はそのまま、左右同度数の眼鏡を作成した方が、身体全体のことを考えると、適切かもしれません。
「眼」だけが「身体」ではありません。所詮は「身体の一部の眼」なのです。
ある程度の「ええ加減さ」は時には必要です。この点は理屈ではなく感覚の問題です。
メガネも同じです。あまりに “キッチリ” 合わせ過ぎると色々と「凝り固まって」しまい、自身の眼の自由度が減ります。
“キッチリ” 合わせすぎて、却って見にくくなることもあります。最たる例は「乱視」です。強過ぎる円柱レンズで「直乱視」を矯正すると逆に「倒乱視」になってしまいます。
眼鏡を常時かけるのではなく、状況によって掛けたり外したりする場合。メガネの「左右差」はあまりつけないほうが良いかもしれません。可能なら「同度数」をオススメします。
なぜなら裸眼時と眼鏡装用時との「左右の関係性」が変わってしまうからです。その差により「疲れ」が発症する可能性があります。
そういう点では “左右同度数” で市販されている「近見眼鏡(老眼鏡)」は非常に使い勝手が良いものと言えます。

近視の度数に左右差がある時、顔をやや回旋させることにより、その差を補う場合があります。つまり、近視の強い眼の側をやや前に回旋させ、少しでも対象物に眼を近付けるのです。

が、顔の回旋が「癖」になっているのなら、その「癖」の改善が、むしろ身体不調の原因なるかもしれません。
となれば、左右差はそのまま、左右同度数の眼鏡を作成した方が、身体全体のことを考えると、適切かもしれません。
「眼」だけが「身体」ではありません。所詮は「身体の一部の眼」なのです。
ある程度の「ええ加減さ」は時には必要です。この点は理屈ではなく感覚の問題です。
by o-ieye
| 2020-05-05 13:06
| 近視のススメ